厄落とし

人類が地球に生まれて、厄落とし引き続いて集団生活を継続してきました。群れにならなければ、厄落としすぐに死んでいたのです。
集団からつまはじきにされる厄落とし、それはすなわち命を落とすことと同等でした。
生物として孤独を恐怖するような認識を種を補完するために元々刻み付けられていたのかもしくはグループを作るうちにそれが主全体の共通認識として遺伝子レベルでの常識になったのかは不明です。

人は俺を厄落としマスターと呼ぶ

ただ一つ、孤立は死につながる状態だったため、一人で過ごすことは生死に関わる性格であることはクリアだったのでしょう。
村八分という絶縁状態が日本の村落では行われていましたが、厄落としそこそこに重罪に対するものでした。にもかかわらず、厄落とし生死に関わるようなことは実施しませんでした。
殺人に近い刑罰ではあっても、命までは取らない厄落とし、というレベルの処置だったのでしょう。
現在では独り身でも生きていくうえで障害にはなりえません。とはいえ、愛されないことへの不安感だけは誰もが持っています。

厄落としはすでに死んでいる

フラれることは他人から突っぱねられることなので、結果として「消えてしまいたい」と口にするほど気分が滅入ってしまい、次の恋に進むには一定期間を必要とします。これは勝手になるものでコントロールできる型のものではありません。
失恋によって心がズタズタになり、別人のようになってしまうのは厄落とし、どうにもできないことなのです。
破局にどう向かい合うのか、自分の心を守ろうとする働きに関しても注意しましょう。相応しい行動と不適切な行動があります。